今月19日に初日を迎える、じゅんじゅんSCIENCE『怒りながら笑う』。カンパニー旗揚げ作品『サイエンス・フィクション』(07年)以来、久々のソロ作品となる今回は、じゅんじゅんが自身の身体と向き合い、さまざまな矛盾する動きを圧縮させることによって作り出す、ストレートかつストイックな作品になりそうだ。
取材・文=熊井玲
熊井玲(以下K) じゅんじゅんSCIENCEとしては、『サイエンス・フィクション』、『アリス』(08年)に続く3本目の作品となりますね。今回、ソロ作品をやることになったのは、何かきっかけがあるんですか?
じゅんじゅん(以下J) いや、じゅんじゅんSCIENCEはソロ・プロジェクトなので、もともと(複数人数でやる)カンパニー作品とソロ作品の、両方をやっていこうと思ってるんですね。で、今回はソロだなと。時期的に自分と向き合いたかったというか、ちょっと一人でやりたいなと思ったんです。
K カンパニーとソロとでは、気持ちが違いますか?
J やっぱり全然違いますね。でも、カンパニーをやってるとソロがやりたくなるし、ソロをやってるとカンパニーがやりたくなるし(笑)。今は一人で飽きないように稽古している、という感じです。
K 今回は人形を使われるそうですね。
K 舞台上には人間が“二人”いる感じになるんですか?
J そこが面白いところで、人形を操ってる人はもちろんいるんだけど、人間が二人って感じじゃなくて、やっぱり人間と人形がいる感じになると思います。
K 人形は、じゅんじゅんさん自身の分身という設定ですか?
J そこはいま悩んでます。僕と人形が他者として出会うのか、それともパラレルで出会うのか……どうしようかな。
K 人形スタッフの長井望美さんについて教えてください。
J 彼女は人形劇団の出身者で、僕のワークショップクラスに来てた人なんですよ。で、「そのうち何か一緒にやれるといいね」と話してたんですが、今回それが実現しました。
彼女は人形制作も自分でやる人なんですが、稽古初日に試しで人形を持ってきてくれたんです。それが顔もない、本当に骨組みだけの人形で、そのすごく素っ気ない感じが印象深かったんですよね。でも、何かの瞬間にふと本当に生きている感じもする。操り人形だから、上から吊り下げられて初めて「立つ」んだけど、その矛盾した感じも、今回の作品づくりのフックになってて。まあこれは後づけなんだけど、『怒りながら笑う』っていうタイトルも、ある意味二律背反したものが同居してると思うんです。そういった、さまざまな“矛盾”が今回の動きの中にも出てきますね。
K 「二律背反したものの共存」は、じゅんじゅんさんが以前から興味をもっているテーマだったと思うんですが、今回はそれがより中心的になってくると?
J そうですね。タイトルが決まった時に、なんだかストンときました。というのも、マイムって不自由な動きの連続だから、動こうと思えば思うほど深みにはまって余計に動けないということがあるんです。でもがんじがらめになったその葛藤の中から新たなエネルギーが生まれることも確かにあって、それが次の作品を作る原動力になっている場合もあるんです。
K そういったじゅんじゅんさんの心理状態と、人形の動きとに似ている部分を感じたと?
J ええ。仕組み上、人形の動きには制限があるから、きっと僕と波長が合うんじゃないかな、と(笑)。
K 操り人形と俳優のコラボレーションといった作品は、ほかのカンパニーの作品でも時々見掛けますが、今回もそういった作品のイメージと近いのでしょうか。
J いや、全然違うと思いますね。どちらかというと、イメージは能舞台に近いと思います。舞台面を3メートル四方の四角いリノリウムで仕切って、動きの範囲をかなり制限するんです。舞台には人形も音楽家も上がってもらうんですが、演じる時はその四角いエリアの中に入ってやる、というふうに考えています。
最近、いろんなものを“削ぎ落とそう”という意識が強く働いていて、舞台を飾って新たな世界観をつくるんじゃなく、むしろそれとは別の、余計なものを削ぎ落とした中にこそ、身体の緊張とかダンスの喜びとかが見えてくるんじゃないかなと思っていて。今回はそこを観てもらいたいです。
K 前回の『アリス』は、色もふんだんに使い、映像も取り入れ、マイムではない動きもたくさん取り入れた、ある意味派手な作品でした。今回はそれとは真逆になりそうですね。
J そうですね。前回は伊藤キムさんやたかぎまゆさんといった素晴らしいダンサーが出てくださって、彼らに僕の作品の中で、どれだけ異物として立ってもらうかを考えていました。今回は、それがすべて自分自身に向かってくる感じです(笑)。ある意味、僕が僕に対してどれだけ異物になれるかっていう。
K 「異物」というのは?
J うーん……。僕が何か新たな作品世界を描きだす、つくり出すというのではなくて、僕そのものの動きを見てもらいたいという感じです。
K 作品の作り方は、これまでのようにピースを作って、そこから構成を考えていく、という方法ですか?
J それは変わりません。ただ今まではお客さんにサービスしたいと思って、幕の内弁当のようにいろんなものを詰め込んでる感じがあったんですけど、今回はなるべくそうじゃなくしようとしてます。前回に対する振り子の揺り戻しだと思うんですけど、幕の内じゃなくておにぎり一個食べてくださいって感じというか。
というのも、負荷のかかった状態から何かが生まれるってことがあると思うんです。今回はそれを身体に問いかけてみたい。あと、このところ演出の仕事が続いたんですが、演出の時と自分が出演する時では準備が全く違ってくるんですよ。演出してるとそれに夢中になっちゃって、出ることに後ろ向きになってしまいがちなんだけど(笑)、でも自分もまだまだ舞台に出たいという想いがあるので、今回は自分を追い込んでみようと。
K 出ることに専念する、という意味で、例えば誰か別の振付家をお願いするということも考えたんですか?
J いや、そういう発想はなかったな。やっぱり自分の身体は自分が一番よく知ってるし、自分で自分を探したいので。ただ、他者の視線は絶対に必要だと思ったので、今回ドラマトゥルグとしてshinya-bさんに入ってもらってます。彼は美術が専門の人なんですけど、僕の作品で使った映像や音楽をこれまでも手伝ってくれてて、彼がオブザーバーとして僕のやり方や頭の中を整理してくれています。それがすごく面白いんですよ。
K いろんなジャンルの人たちと作業する中で、お互いの意思疎通に苦労することはありませんか?
J 基本的には動きは僕がつくるソロの作業なので、そこはあまり問題ないですね。ただ、できるだけいまどうしようとしてるかってことを周りのスタッフとシェアするようにしてます。
ちょうどいま、いくつかキーになるモチーフができてきて、それがこれからどうまとまっていくのかなというところです。ホームページに乗っけた映像がそのひとつなんですけど、いろんな矛盾したことが圧縮された面白い動きになっています。
K 先ほどから「圧縮」という言葉が頻出しますね。
J そうかもしれません。今回はともすると、いわゆる“面白い”作品ではないかもしれないけど、でもお客さんには刺激も含めて楽しんでほしいです。
K 「あまりサービスはしない」と先ほどもおっしゃっっていましたが……。
J ある面ではそうなってると思います。そこは挑戦でもあるんだけど、でも作り手がサービスとして出したものがすべて面白いかって言ったらそうとも限らないし、最近、“どんな作品でも万人に受け入れられる”ってことは、まずあり得ないんじゃないかと思ってるんです。
K なるほど。お話を伺っていると、今回は挑戦的な作品になりそうですね。またその反面、もしかしたら“閉じてる”という印象を周囲に与えるかもしれません。そこは意識的にされていますか?
J 半分意識してます。確かにそう思う人もいるかもしれないなと。でも、そここそ乗り越えていかなきゃいけないところだと思うし、乗り越えたいという強いマグマがいつも作品を作る動機になっていると思います。
稽古場より——
「ところで、なんで机なんですか?」
7月上旬。ねっとりした蒸し暑さの中、稽古場のある京都芸術センターを訪れると、じゅんじゅんと森裕子が迎えてくれた。途中、今回の企画者でもあるMonochrome Circus主宰・坂本公成も現れて…。
取材・文 = シアターガイド 熊井玲
じゅんじゅん(以下J) Monochrome Circusとは02年にNYで知り合って以来、お互いの作品を観たりして、ずっとゆるゆると交流が続いてて。
森裕子(以下M) ただ今回一緒にやる一番のきっかけになったのは、『ディディエ・テロンの世界』(05年)って作品を——これもやっぱり机を使う作品だけど、じゅんじゅんが観てくれてからだよね。
J それがすごく面白かった。それからいろいろ話すなかで、彼らがあまり東京を意識せず、それよりもダンスをどう続けて行くかってことを真剣に考えてるのが分かって、そこがすごくタフだし面白いなと思った。で、「ぜひ一緒にやりましょう」と。
稽古が始まって改めて感じたのは、僕がやってることって、常にマイムとか芝居、ダンスのボーダー上にあるんだなってこと。例えば「膝を曲げて止まる」って動きを、僕は「何かが落ちててびっくりして止まる」ってするけど、ダンサーは「止まる」ってことを、動きとして処理したいって言う。
M 動く動機付けが、お互いにちょっと違う感じなのよね。ダンサーは動きを内部感覚でとるけど、じゅんじゅんは外部感覚でとってるというか。
J マイムは、状況に対するリアクションの動きだからね。その違いが面白いなと思った。
——その融合点は、真ん中ぐらいで見つかった?
J いやいやいや。
M モザイクだよね。ここはじゅんじゅんじゅんのテイストであてはめようっていう部分と……
J ……ここはダンサーがちゃんと踊る部分にしたい、とかって。
M あと1年くらい一緒に作業したら、じゅんじゅんの言葉で私たちもしゃべれるようになって、そうしたらもう一つ先にいけるかもって思うけど。
J でも最近面白いなと思うのは、こういう関係って長期戦で。いまはグワーッとかき回して作業してる段階だからよく分からないんだけど、例えばちょっと時間をおくと発酵して、自分の中でも落ち着くことがある。その時間もクリエイションの一部だと考えられたら、作り手同士がもっと有機的な関係を結べるんじゃないかなって思う。
「机」が生み出す可能性
——今回、机がテーマですが、一緒に作業するなかで、机の捉え方とか使い方の違いを感じることはありましたか?
M これまでの作品では、私たちは机を “境界と境界の狭間”とか、あるいは単に台として使っていて。『水の家』は前者で、『きざはし』は後者ですね。机の下を地下って考えることはあるけど、でもじゅんじゅんみたいに、空間をひっくり返すっていうような嘘のつきかたはしてないなあ。じゅんじゅんは嘘のつき方が上手(笑)っていうか、そこがすごく違うかな。
——それぞれ、ご自身の作品でなぜ机を使うんですか?
J なんでだろ? ただ机って手掛りが多いと思う。
M 机を置くと空間がずいぶん変わるし、机は具象的なものをイメージしやすいんですよ。例えば机を4人で囲むと急に家族に見えたりするでしょ? あと上にも乗れるし、下も使えるし……。
J 例えば『水の家』とか『きざはし』はどういう感じでつくったの?
M 『水の家』をつくった時は、洪水が多かった年なんですよね。
J へー。
M 我が家にがたがたの机があって、脚も結構弱かったんだけど、でもこの上だったら洪水でも踊れるかなあっていうのから始まって。
J そんな始まりだったの(笑)!? 「岸辺のアルバム」みたいだ!
M そうそう。置き去りにされたところにいる人たちっていう設定にしてインプロを繰り返して、それでできた作品なの。で、それをつくったあと坂本が、「下に男性で上に女性はどうだろう」って言い出して、それで『きざはし』に取りかかったんだけど、ちょうどその時、坂本と私がけんかした時期が重なってて、それでナイフが飛び出す作品になったという(笑)。
J 修羅場じゃん(笑)! そういう意味では、水と油の机の捉え方はちょっと違うかな。例えば机が置かれた風景をまず見せておいて、その机をすっと横に移動させることで日常性を壊すってことを僕らはやってきたんです。今回も机を介して、当たり前を壊すというか、日常にゆさぶりをかけることができたらいいなって。
——また今回は三部構成で、じゅんじゅんの新作ソロと机をめぐるMonochrome Circusの小品、さらにコラボ作品『緑のテーブル』が非常に楽しみです。
J タイトルを決める時、坂本さんからドイツの表現主義者、クルト・ヨース振付の『緑のテーブル』という記念碑的作品があると聞いて……あ! 坂本さんだ。
坂本(以下S)どうもどうも。何の話してるところ?
J 「緑のテーブル」の話です。坂本さんもちょっと話そうよ。……で、僕もタイトルからどんどんイメージが広がっていって。
S (椅子に座りながら)『緑のテーブル』をクルト・ヨースが初演した時は大戦後で、ヨーロッパの巨頭といわれる人物たちがテーブルに向かって、世界を支配しようって議論を繰り広げるさまを描こうとした作品なんです。でも今回は、それに真っ向からどうこうしようというわけではありません。ただ、このタイトルを借りることに決めたって、grafの服部(滋樹)さんに伝えたら、彼がそこから想起したイメージがじゅんじゅんと近かった。それで、さらにいいタイトルなんじゃないかなと思って。
J イメージを広げるなかで、僕は今回、突然、机に生々しいものを乗せてみたいと思い始めて。いろいろ要因はあるけど、実は庭劇団ペニノの『苛々する大人の絵本』の美術(舞台の1階部分が街のミニチュア、2階部分は切り株がささった不思議な部屋だった)もヒントになってて。説明抜きで、造形のボリュームでどんと見せる、その感じがいいと思った。まあ自分としては、それがちょっと意外なんだけどね(笑)。
S これまでのじゅんじゅんの作品てどこか無機的で錬金術師的だからね。一方、僕たちはどちらかというと有機的っていうか、ちょっとエログロで生々しい感じ(笑)。でも不思議と身体言語は近いんだよね。また、今回はgrafの服部さんがいい触媒になってくれてるし、山中さんの音楽もドラマ性があってすごくいいし。
M すごくスイートな音楽ですよね〜!
J メランコリックっていうかね。前に山中さんに「どんな音楽が好きなの?」って聞いたら、「ゴッドファーザー」の音楽をつくったニノ・ロータって言ってて。それならイタリアのメロディアスな音楽も好きなんだろうと思ったんです。
S ノイズとメロディーがうまく共存してるような感じでね。僕の例えで言わせてもらうと、“最近のいい感じの日本映画のサントラ”みたいなイメージ(笑)!
京都はアーティスト向きの街?
——Monochrome
Circusは京都を拠点に活動していて、じゅんじゅんも今回50日間京都に滞在して作品をつくったわけですが、創作の場所として、京都はいかがですか?
S やはり京都芸術センターの存在が大きいと思います。それと、作品をつくり続けることにおいて、すごくヒューマンスケールと街のサイズが合ってると思う。
M 文化芸術に対する環境がいいんです。
S そう、そのぶれなさ加減がいいんですよね。10年前に芸術センターができたとき、稽古場の確保に困っているほかの地域のアーティストから「日本でこれほどアーティストにとって理想的な環境はないんじゃないか、いいねいいね」って言われたんです。で、あっという間にほかの地域にもできるだろうと思ってけど、まだあんまりないですよね。関東圏には芸能花伝舎とかにしすがも創造舎とか急な坂スタジオとか、いくつかできてきましたけど、
一過性のものをつくるならいいけど、継続して長く続けたいっていうか、できたら死ぬまで続けたいじゃないですか、やるからには。そういう意味で京都はちょうどいい。いろんなアーティストが国内外からやってくるし、情報も自分がアンテナさえ張ってれば欲しいだけのものは得られるし。僕らだけじゃなくて、ここを使ってる劇団やダンサーはそう思ってる人が多いんじゃないですかね。
J という話を聞いて、こういうメンタリティーをもって、実際にそのように活動してる人たちがいることを、僕は東京のダンサーにも知らせたいなって。すごいなと思ったのはMonochrome Circusの稽古は月曜から金曜まで、12時から18時までがメインなんですよ、東京ではありえない。でも彼らはそれを貫いてて。
S 仕事を優先すれば稽古はどうしても夜に流れて行くし、土・日が中心になる。でもそれは絶対にやらないって、9年貫いてますね。
J そうできるかどうかを考えるよりも、そう宣言して実際にやってきちゃったことが大事だと思う。そこが作品の強さにもなってるし、ダンスを続けるってどういうことかという、ものすごく強い主張になってると思います。
新たな「ものの捉え方」を
——最後にタイトル『D_E_S_K』の、アンダーバーがとても気になるのですが……。
S 今回に限らず全ての作品で、僕は宙釣りにしたいというか、名前と物を離したいという想いがあって。大学で現象学をやってたんですけど、認識論というか、「ものはものとしてあるんじゃなくて、見るという行為の中にものが浮かび上がったり沈んだりする」っていう考え方があって。例えば「机」って文字をじっと観てると、それが「木へん」と変な形でできた絵に見えてくる。あるいは、いまここでノートにメモを取ってるじゅんじゅんの姿を見てて、その「書いている」姿を捉える時に、ボールペンを見つめるとそれ意外がふわーっと消えて見える。でもちょっと引いてじゅんじゅんを見つめると後ろの風景も少し目に入ってくる。でも実は視界に入ってるものは一緒で、ただどこにフォーカスをあてるかで、脳が選別してるわけですよね。というように、アーティストの仕事って名前と物だとか、いろんな既成の繋がりを一度引き離して、新たなものの見方を見せることじゃないかと思うんです。
J それって実は僕が水と油でずっと追求してきたこととも通じるな。
S 見てる人の中で(捉え方の)組み替えができるっていうか、ワンダーランドができるっていうか。そこに対する関心は、grafの服部さんもじゅんじゅんも、入り口は違うけどみんなもってると思う。
——そこにはおそらく、ものを介した時間の捉え方も関係していて、お話を伺っていると、そういう時間感覚の共通性もあるのではないかと思うのですが。
S じゅんじゅんと服部さんと僕は同世代だから、経てきてるものが同じなんだよね。バブル期に青春時代を送ってて、でもあえてビンボーなアーティストの道を選んでるっていうのは、消費じゃない何かを求めてるってところでなにか共通点があると思います(笑)。
J&M (笑)
J いやー、改めて話をして、やっぱり坂本さんの言葉は理知的ですごくクリアだと思う。
S 身体言語が似てる感じがしますよね。
J うん。だから、今回すごく「仲間」と作業してるなって、そういう感じがしています。